生きづらい世の中
仏教では、この世の全ての存在は思い通りにならない苦しみ「一切皆苦」を抱えているという。確かに生きていれば苦しいことは多い。毎日仕事に行きたくないけど、お金の不安があるので続けるしかない。テレビやネットを見れば成功者と自分を比べて落ち込む。健康に気を付けているのに疲れはたまる一方。
現代はとても便利な時代だ。コンビニに行けば24時間いつでも食べ物が買える。欲しいものがあればネットで何でも手に入る(しかも1~2日で届く!)家にいながら映画やアニメも楽しめる。僕が子供のころからはとても想像できないほど急激に社会は発展している。
狩猟採集時代の人々と比べれば、ほとんどの現代人は「明日をも知れぬ」生活をしているわけではないはずだ。彼らにとって「ご飯が食べられる」「命の危険がない」という生活の実現は「夢のまた夢」だったろう。それさえ手に入れば十分すぎると願ったはずだ。それなのに、時代が進むにつれて私たちはどんどん「夢」を叶えていったのに、なぜこれほどまでに生きづらく苦しいのだろうか?
生きづらさの原因
人間が幸福や不幸を感じるのは「以前との差」によるものだ。欲しかったモノを手に入れたら、「持っていなかった自分から持っている自分」への差が刺激となり快感をもたらす。手に入れるのにお金や時間がかかればかかるほど刺激も大きくなる。しかし、この幸せも長くは続かない。「持っている自分に慣れる」からだ。完全に慣れてしまえばそれが当たり前になり、また次の刺激を手に入れなければ「持っている自分」を感じることが出来ず、今度は逆に不幸感を感じる。厄介なことに、この持っている持っていないの基準は、他人との比較が原因となることがほとんどだ。友達と、会社の仲間と比べるくらいならまだ可愛いもので、SNSで見ず知らずの有名人と比較してしまえば刺激への欲望は青天井になる。
この繰り返しの末に疲弊し、たくさんモノを手に入れたのに満たされず苦しんでしまうのが私達だ。
先進国に住む大多数の現代人は、既に衣食住という幸福要素のコアを持っている。それに加えて趣味や娯楽も少なからず楽しめているはずだ。友達に高級車や高級腕時計を持っている自分をドヤる必要はない。青天井の欲望の先に、自分が本当に満たされるモノがないことはもう分かっただろう。刺激の差を外部ではなく内部に求めることでしか、本当に満たされることはない。
幸福に生きるシンプルな考え方
人生を幸福に生きる3つの土台は「資本(お金)」「居場所(存在価値)」「健康(心と体)」だ。
資本(お金)
資本の大きさはとても重要となる。身も蓋もない話だが、お金があれば「選択肢」が増えるからだ。
贅沢品にしろ生活必需品にしろ、お金があれば何か欲しいと思ったときに手っ取り早く手に入れることが出来る。わざわざ最安値のお店を探し歩かなくても、納得できる金額であれば一軒目で購入することができる。お金で買えないものもあるだろうが、大抵の欲(物欲、食欲、承認欲求など)はお金で解決が出来る。
お金が有ると無いでは欲望を満たすまでの道のり(時間や労力)が全然違う。お金は言わばテーマパークのファストパスみたいなものだ。一日24時間なのはお金持ちでも貧困層でも同じだが、ファストパスがあれば、同じ時間でもより多くのアトラクションを楽しむことが出来る。貴重な時間をお金で買っているに等しい。
では有ればあるほど幸せなのかと言うと、そうでもないらしい。アメリカの研究では年収が約900万円、日本の大学の調査では年収800万円までは年収が上がるにつれて幸福度も上がるが、それ以上の年収になると幸福度の上がり方が一気に小さくなる。資産についても、日本では1億円の金融資産があると、それ以上貯金が増えても幸福度は上がらないとされている。
年収800万円までくれば世の中の大多数の人々より「稼げている」ので、家や車や趣味などをある程度高いレベルで満たすことが出来るし、パートナーにも恵まれるチャンスが多いだろう。一般的に「幸せだね」と思えるレベルには達していると言える。金融資産も1億円あれば、4%ルール(資産運用による平均7%の運用益から物価上昇分の3%を差し引いた4%で生活をすれば、資産は減らずに運用益だけで暮らしていける)によって今後の生活の安定が保証されたも同然と考えられる。
いわばゲームで言う「上がり」の状態に達したと言える一つの区切りが、年収800万円や資産1億円と言うわけだ。
とはいえ年収800万円も資産1億円も到達するにはそれなりのハードルがある。大抵の人にとっては年収を上げようとすることや、せっせと資産形成をするのは「幸せ」に繋がる手段になる。
居場所(存在価値)
居場所(存在価値)とは、社会や人間関係を含めた外部との繋がりになる。会社や仲間内で必要とされたり、家族と喜びを分かち合うことで自己肯定感は生まれてくる。
狩猟採集時代は狩りをするにも、外敵から身を守るにも一人の力では難しく、集団で協力し合うことで生活していた。仲間はずれにされるイコール死を意味していたが、現代社会では必ずしも他者との繋がりが無いと生きられないわけではない。会社の一部の人とだけ、家族だけの必要最低限の人付き合いでも十分生きていける。
とはいえ人との繋がりでしか得られない欲求も存在し、承認欲求や自己顕示欲、愛情・友情などがそれに当たる。これらは必ずしも生死に直結するものでは無いかも知れないが、やりがいや生きる意味としては重要な役割を果たす。いくらお金と時間が有り余っていても、誰とも一緒に分かち合えずボッチでは嫌だと言う人も多いだろう。だが反対に、人間関係のこじれにより落ち込んだり傷付いたりと悩みの種にもなり得る。
健康(心と体)
最後に最も大切な土台が健康(心と体)になる。いくらお金が有り余るほどあり、社会で必要とされる重要な仕事をし人々から尊敬され、友人も多く家族とも仲良く暮らしていたとしても、心身のどこかに不調があれば幸せとは言えない。どんなに幸せな環境にいたとしても、常に激しい頭痛や腹痛に悩まされるのでような状態であれば幸福感を感じているどころではないはずだ。幸せな環境が揃っていても、たった一つの苦しみで全てが台無しになることがある。快楽はすぐ慣れてしまうのに対し、苦痛には耐性が少ない。体の不調はもちろん、怒り・悲しみ・劣等感や不安などのネガティブな感情の解消を優先する方が、欲求を満たすことよりも幸福感を感じることへの影響は大きい。欲求を満たすよりも苦痛を取り除く方がコスパがいいと言うわけだ。
お金があっても満足に体が動かなければ旅行にも行けないし、美味しいグルメも楽しめない。幸せに生きるには、まず健康な体を維持し、不自由な生活を送らないで済むよう資産を蓄えた上で自分の居場所を確保することが重要だ。
まとめ
1.私たちは便利で快適な環境で暮らしているはずなのに、思い通りにならない苦しみを抱えている
2.幸福や不幸を感じるのは「以前との差」である。
3.何かを手に入れてもすぐに「持っている自分」に慣れてしまい、幸福感は続かない。
4.他人と比べることで「持っていない自分」を不幸と感じ、終わりのない欲求に疲れてしまう。
5.人生を幸福に生きる3つの土台は「資本(お金)」「居場所(存在価値)」「健康(心と体)」
6.お金(資本)があれば「選択肢」が増え、お金で解決することで限られた時間を有意義に使うことが出来る
7.他者との関わりの中で居場所(存在価値)を感じられ、そこでしか得られない幸福感が存在する
8.健康(心と体)が一番大切で、どんなに幸せな環境でも心身に不調があれば不幸になる。
9.欲求を満たすことよりも、苦痛を取り除く方がコスパがいい。
10.まず一番に健康な心と体を整え、次に資産、居場所を固めていくこと。

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